あの時、森の中で。出会わなかったら。

寝てるのか覚めてるのかわからない眼をした、俺は森でいじめられたいぬと出会った。庇いたくて、助けたくて、必死だった、俺の身体を代わりに差し出した。何度も殴られて、意識が朦朧としてきて、俺なにやってんだろ、なんて頭を掠めて。こいつらどんだけ殴れば気が済むんだろ、いぬが俺のことみてる。ばか、早く逃げろよ、俺もいつまで保つかわかんないから。 次第にいぬの姿が霞んできて。

いてえよ。いてえよ。俺でもいてえんだから、いぬだったらもっといてえだろうな。
こいつらはいたくねえのかな。人を殴って痛くねえのかな。

止んだ。殴打が止んだ。いじめかっこわるいって、俺の気持ちが通じたの、か?

「よー赤雷。水くせえな、俺達を呼ばないなんてよ、言ってくれりゃあ俺らも一緒にやられてやるのによ、そうりゃ痛みがみんなでえーと、分母かける分子・・・とにかくだ、割られてあんま痛くないだろ?」
あいつが言った。何でおまえらここが解ったんだよ、橙次だったら屁の匂いで、居場所ぐらい探知できるだろうけどよ、 なんで俺の居場所わかったんだよ。
「虫の知らせっつーか、なんつーか、わかっちまったんだよな。俺をなめんなよ赤雷」
ってあいつが笑った。

「ほらよ、いっちょあがりっと」

橙次はそう言うと、顎をつ、と上げてまたにかりと笑った。岩が光を反射して、橙次を後ろから照らしている。身体はずきずきと痛むんだけど、もう辛くなかった。橙次に大きな掌で、ばしっと叩かれても。いや、やっぱり痛いな。
「いてて」
「ははは、すまん、すまん。まだ疵が痛むか」
「当たり前だよ、 今さっき橙次が手当してくれたからって、そんなすぐ治るわけがない」
「俺にゃ未忍みたいに、傷の特効薬なんざ作れねぇからな」
そう言うと、橙次は唇の端を下げて真顔になった。顔は影になっていて、表情はよく解らない。笑ってないってことしか。 腫れ上がった瞼も邪魔してて。もどかしい。心がちくちくいてえ。

「ごめん、橙次。俺は橙次が薬、塗ってくれるだけで充分だよ」
切れて痛む唇を無理矢理動かして、俺は言った。
「・・・・・・」
「橙次?」

橙次の顔が近づいた。顔と顔が重なって、唇の端に、温かな感触が触れた。

「早く治るように、まじないだ。ありがてぇと思えよ」
まぬけな顔をした俺の顔を映して、橙次の瞳は、きらきら輝きながら、笑ってた。