扉の向こうは静まりかえっていた。 人が動く気配はない。 それどころか人影も消えていた。 俺は仕方なく目覚める気配のない赤雷を、背負って 教室を出た。

「おせぇじゃないか青馬、この橙次さんも、さすがに 待ちくたびれたってもんでぇ、残念ながら入学式は とっくに終わっちまったけどな。そっちの赤毛は なんだ? 急病かい?」

俺は物言わず、目の前の男を見つめた。

だいちの橙次って名前の先輩。校舎に入る前、声をかけてきた男だった。 男は俺が何も言わないのを、肯定と受け取ったのか赤雷を 「よいしょ」と俺から譲り受けて、何処かへ歩いて行った。 俺は追わなかった。

入学式には間に合わないみたいだから、教室に留まった。 二時間もそのまま。教室でぼおっとしてた。 川のこととか考えてたら、時間が過ぎてたんだ。 傍らに犬が佇んでた。 赤雷とだいちの橙次が去ったあと、俺の足下には犬がいたんだ。 いつからそこにいたのかは、俺は知らない。

唐突に犬が駆けだして行った。 俺はあとを追った。 条件反射で。

追走の途で金髪の人とぶつかって、睨まれた。 「どこ見てんだてめえ!」だとか言われたけど、振り返らなかった。 「ごめんなさい」は言った。 風を感じて、川を思い出して、長い廊下が、マイスイートハートの流れみたいに感じて、 足が流れるように動いて、流されて、いつしか犬を見失って、壁に激突。

鼻から鮮血が迸った。 瞼の裏が紅に染まって。 赤い帳が降りて。
あの赤毛が脳裏を過ぎった。

太陽に透けて舞う赤い花びら、絹糸、綿毛、赤い、ほのおの、

×××

「せーま・・・・せーま・・・・起きなさいせーま!」
「せきら、いっ?・・・・ちが・・・・んん・・・・だれ・・・・? 視界が・・・・」
金色の長い髪がちらちら揺れてて、その髪の持ち主が喋ってるのはわかるんだけど、 視界が滲んで、瞼を開けるのが辛くて、俺は目を瞑った。
「ふふーん、赤雷ならお前さんの隣で寝てるぜぇ?ったく入学式にはこないわ、赤雷は見捨てるわ、一人でぶったおれてるわ、 どうしようもねえ男だな、せーまさんよぅ」
この声は聞き覚えがあった。だいちの橙次だ。
「顔面からもろにいったらしいな、ひでー顔しってっぜ、色男が台無しだな、がっはっはっ。 ・・・・んでどうなんだい、キッスィー」

「その呼び方はやめないと先生ご立腹だからって、いつも言ってるでしょうに・・・・ クックッ、これは当分、見えないな」
「がはは! そうか、そうか。青馬クンよ、友を無下にしたばちが当たったな。 せいぜえ反省しとけ。ま、眼帯っていうトレードマークが出来てよかったんじゃねぇかい? 一発で覚えられるぜ」
だいちの橙次はそう言うと、俺の肩を力強く叩いた。
痛かったけど、なんだか温かい手だった。