保健室を出た俺と赤雷は、教室に向かって歩き出した。
全ての窓は閉め切られ、俺達が歩く音のみがこの場を支配していた。
こつこつこつ。まるでこの学園の中に、俺達二人しかいないみたいに。
沈黙を破るように赤雷が口を開いた。
「青馬くん、その目どうしたの?」
視線をちらりと横に向けると、心配そうな顔で赤雷が、俺の顔を覗き込んでいた。
忘れていた痛みが、負傷した片目に甦る。
「ちょっとな」
「ひょっとして、金色の髪した先輩に、殴られた・・・・?」
「・・・・いや・・・・」
「そう・・・・」
赤雷はなにか誤解をしているようだったけど、俺は何も言わなかった。
走ってて壁に激突した経緯を説明するのも、意味のないことだから、
ただ黙って足を進めて先を急いだ。
「どこに行くの?」
「教室に戻る」
「そう・・・・」
俺たちは無言で、二時間ぐらい歩き続けたけど、
いつまでも続く、長い廊下のどこに教室があるのか、入学したての俺にはわからなくて。
入学案内の用紙に地図があった気はするけど、今は持っていないし、家に置いてきたかもしれなくて、
いずれにしてもどうしようもないから、赤雷に委ねることにした。
「赤雷、俺達の教室ってどこ?」
俺の質問に、赤雷はぎょっとしたように答えた。
「えっ」
「俺、まだ入学したばかりだから、まだ学校のこと分かんないんだよな」
「そんなの俺だって知らないよ! どうしよう、青馬くんわかってると思ってた」
その言葉に足を止めると、廊下はいよいよ静寂に支配されて、迷子になった俺達二人に高い天井が
のし掛かってきた。一つだけ開いた窓から、風が一筋流れ込み、
頬に当たった冷たさで、俺の意識は汗ばんだ手に移行し、
繋ぎ止めた赤雷の手が高温で熱せられたように熱く、火傷しそうなことに気付いた。
「お前ってさ、人より体温高いの?」
「え?うーん、普通だと思うけど、あ」
「そうか・・・・」
掌の中に、調理中の鍋の蓋を直に触っているような熱さを感じた気がしたけど、錯覚か。
唯一外から吹き込む風を、体に取り込むように深呼吸を一度してから、
手を離してハンカチを取り出し、俺は手を拭った。清流のように青いハンカチは、
四角く折りたたんであったけど、使用したことで皺が出来た。
俺は青が好きだ。名前に青がついているからかもしれない。赤雷はどうなんだろう?
赤い髪、赤いハンカチ・・・・似合うだろうな。赤毛に目をやると赤雷と目があった。
「ごめんね、青馬くん」
謝る赤雷に、俺は疑問を返した。
「なにが?」
「あのね・・・・体温は高くないんだけど、俺、緊張すると発火する体質なんだ・・・・」
「ハッカ?俺、ハッカ好きだけど」
口の中に広がるあのスーッとする、ハッカの風味を思い浮かべながら、俺は言った。
夏の太陽にじりじり焼かれながら、川に足を浸して半分の冷たさのなかで、口の中で爽やかな空気を転がすのが好きだった。
「えっ発火好きなの?そうなんだ青馬くんって変わってるんだね!・・・・僕達って気が合うかもしれないな
・・・・でも、けっこう熱いから気をつけてね」
「・・・・」
俺には赤雷が変わってるように見えるけど、とは口に出さなかった。
緊張するとハッカするって、意味わかんないけど、聞かなかった。
気が合うかもしれないも、わからなかった。
熱いっていうのは比喩なのかな、と思いながらそっとハンカチをしまって、赤雷に手を伸ばした。
「あつっ!」
今度こそ、気のせいじゃないと思う。なんか赤雷の手は、熱い。
「だめだよ青馬くん、僕、発火するって言っただろ・・・・」
熱さに引っ込めた手で、俺は瞼を擦った。赤雷の周りに、陽炎が揺らめいて。
すぐ近くにいるはずなのに、遠くにいるような感覚。眩暈を感じているのか?
わからない。もしかしたら赤雷はこのまま、白い壁の中に靄に取り込まれながら消えて行ってしまうのかもしれない、
必死に俺は手を伸ばすんだけど、熱さが邪魔をして、掴めなくて。
「ちょっと待ってね、なんとか押さえられると思うから、炎までは出ないと思う」
「赤雷っ」
いくな、の一言は掻き消えて喉の奥にひゅっと消えた。
思わず俺は目を閉じて。赤雷がいなくなってませんようにと、祈りながら目を開けると陽炎はもうなくて。
慣れない場所で、疲れてるのかな、俺。
ちゃんと赤雷がそこにいることに胸を撫で下ろして今度こそ、しっかり手を掴むと、もう熱くはなかった。
「・・・・」
「・・・・」
小首を傾げて、不思議そうに赤雷。
「どうするの?教室わからないの・・・・僕達、迷子だよ」
そうだった、教室が分からなくて既に二時間うろうろしてたんだ、俺達。どうしよう。窓の外に視線を移すと、
人気のない中庭の緑が、静かに太陽の光を受けて生き生きと耀いていた。